パニック障害が教えてくれた「コントロールを手放す」という気づき

今日は、わたしがパニック障害を経験する中で気づいた、

少しスピリチュアルな視点のお話を書いてみようと思います。

それは一言でいうと、

「コントロールを手放す」こと。

頭でわかっていたつもりだったけれど、

身体ごと、それを突きつけられたような体験でした。

ゆれる海の波と、その向こうに沈むやわらかな夕日の写真

発作の最中にきこえた、不思議な「声」

はじめてパニック発作が起きた時。

息がうまく吸えないような、どうしようもない苦しさの中で、

「どうしたら楽になれるんだろう?」

と、頭の中でぐるぐる考え続けていました。

そのとき、突然、

「あなたに、わたしはコントロールできません」

そんな「声」が聞こえたんです。

こうした「声」を感じたのは、実は初めてではありません。

  • 「そっちじゃない!」と聞こえて立ち止まったら、車が横切っていったとき
  • 人に騙されて悩んでいたとき、「ごめんなさい」という声が聞こえてきたとき

人生の大事な局面で、何度かそんな不思議な体験がありました。

ただ、そのときも一度ハッとしたものの、現実の苦しさはすぐには変わらなくて。

発作がおさまってしばらくしてから、

あの言葉の意味を、ゆっくり考えるようになりました。


わたしはどれだけ「コントロール」しようとしていたんだろう?

「あなたに、わたしはコントロールできません」という言葉を思い出したとき、

ふと、こんな問いが浮かびました。

もしかしてわたしは、自分の気持ちも、周りの人の気持ちや行動までも『思い通りにコントロールしなければいけない』と思い込んでいたんじゃないだろうか?

発作が起きる少し前、対人トラブルがありました。

一方的にあれこれ言われる状況で、

本当は怒りや、反論したい気持ちもたくさんあったのに、

「ここで波風立てたくない」

「この場は丸くおさめなきゃ」

そうやって自分の感情を必死で押さえ込み、

なだめる方向へ、コントロールしていきました。

思い返せば、今までもずっとそうでした。

  • 人と争うこと
  • トラブルになること

それが、わたしには何よりも心が痛くて。

だからこそ、トラブルを避けるために、

自分を律しすぎていたところがあったと思います。


我慢→爆発→自己嫌悪、というパターン

ここで誤解のないように言うと、

わたしは「いつも受け身で、まったくケンカをしたことがない人」ではありません。

バチバチにやり合ったことも、もちろんあります。

ただ、その多くは、

  1. まずはひたすら我慢する
  2. もう限界…というところで一気に爆発する
  3. その勢いで、本心とは少しズレた「相手を傷つけるための言葉」を投げつけてしまう
  4. そのあと、ものすごい自己嫌悪におそわれる

というパターンでした。

本当は「傷つけたい」わけじゃないのに、

押し込めていた感情が破裂するかたちで出てきてしまう。

そしてあとになって、

「なんであんな言い方をしてしまったんだろう」

「取り返しのつかないことをしてしまった…」

と、自分を責めてしまう。

今振り返ると、あのとき放っていた言葉は、

裏を返せば、

「どうせちゃんと言っても分かってもらえない」

という、相手へのあきらめと、

同時に 「自分へのあきらめ」 から出ていたものだと感じています。

「わかってもらえないなら、もういい」

そうやって自分の本音ごと、関係を投げてしまうような感覚。

ここにもやっぱり、

「素直に気持ちを出したら壊れてしまう」という怖さと、

「コントロールしておかなければ」という緊張が隠れていました。


発作という形で届いた「魂からのメッセージ」かもしれない

今振り返ると、あのとき聞こえた声は、

わたしの心や魂が伝えてくれたメッセージだったのかもしれないと思います。

もう、エゴによる「完全なコントロール」は手放していいよ。

もっとわたしを信じて、委ねてほしい。

自分ではどうにもならない「発作」という現象を通して、

自分の感情を押さえつける生き方から、自分の本当の想いを少しずつ解放していく生き方へ

そっと、舵を切るよう促されたような感覚がありました。


「コントロール」にしがみついていた根っこ

では、なぜそこまでコントロールが必要だったのか。

それをたどっていくと、奥の方に

「自分には力がない」

という思い込みが、根をはっていたことに気づきました。

だからこそ、

  • 先回りして状況を読むこと
  • 相手の気持ちを勝手に想像して、自分を抑えること
  • 失敗しないように、言葉や行動を管理すること

そうしないと、生きていけない気がしていたのだと思います。


自分を責めることは、他人を責めることでもある

そしてもう一つ、気づいたことがあります。

自分を責めることは、他人を責めることにつながっている。

ということ。

自分を強く責めているときって、

  • 人の優しさを素直に受け取れなかったり
  • 本当は気にかけてくれている人の温度を、うまく感じ取れなかったり

してしまいます。

そして、心のどこかで、

「どうせ誰もわたしなんて必要としていない」

「わたしなんて役に立たない」

「わたしには価値がない」

と、自分を追い詰めていく。

そうなると、視野がどんどん狭くなって、

ひとりよがりな孤独の中に閉じこもってしまうことがあります。

でも、それは「悪いこと」だから直さなきゃいけない、

という話ではなくて。

気づいてほしいのですが、たぶんその裏側には、

そうせざるを得なかったほどの環境や経験があるのだと思うのです。


「自分がしっかりしなきゃ」と思い込んだ幼い頃

わたしの場合は、物心ついたときにはすでに、

兄が心臓の病気で長期入院していました。

両親は兄につきっきり。

その姿を見ているうちに、いつの間にか、

「両親にこれ以上、不安をかけてはいけない」

「わたしがしっかりしなきゃ」

と強く思い込むようになっていきました。

家のお手伝いをしたり、年子の弟の世話をしたり。

小さな身体で、一生懸命「しっかり者」を演じていた自分を思い出します。

その延長線上に、

  • 感情を抑えて、場を優先する癖
  • 自分の本音よりも「みんなの平和」を優先する癖

が、もしかしたら、ずっと残っていたのかもしれません。


頑張ってきた自分を「許す」と決めた

だから今は、こう決めています。

まずは、そんな思い込みをつくってまで、一生懸命生きてきた自分に、「今まで本当によく頑張ってきたね」と言ってあげよう。

あの頃の自分は、

そうすることでしか生きられなかっただけ。

がんじがらめに見えるその「コントロール」は、

当時のわたしにとっての、精一杯の生きる手段だったのだと思います。

だからこそ、今のわたしは、

「もう大丈夫。何が起きても、わたしはわたしを信じているよ。」

そう自分に伝えながら、

  • コントロールによる「見せかけの平和」から
  • 本心を少しずつ解放し、たとえ傷ついても
  • 我慢せずに、その都度自分を癒していく生き方

へと、ゆっくりシフトしていこうと決めました。

光が差し込む海と空、鳥が自由に飛ぶイメージ写真

コントロールをゆるめると、肩の力が抜けていく

もちろん、わたしはまだ道の途中です。

それでも、

  • すべてを完璧にコントロールしなくていい
  • 失敗しても、嫌われても、それでも「わたし」を大事にしていい

そう少しずつ自分に許可を出していったとき、

少しずつ、肩の力が抜けていく感覚がありました。

パニック障害という形であらわれたこの出来事は、

わたしにとってつらい経験でありながら、

「コントロールを手放しても、世界はちゃんと回っていくよ。

だからもっと、自分の本当の気持ちに正直でいていい。」

そんな、魂からのメッセージでもあったのかもしれません。

同じように「しっかりしなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と

自分を締めつけてしまう人がいたら

この文章が、

「少しだけコントロールをゆるめてみてもいいかもしれない」

と感じるきっかけになれたら、うれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

Luxのあさちゃんでした。

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